8月5日(月)の24時少し前にご岳母が永眠しました。
大病をした事もなく持病らしい持病もない人だったのにあっけない最期でした。
8/4(日)に同居している義理のお兄さん宅で倒れているのを孫が発見。救急車を呼んで乗り込んだものの搬送先が見つからないうちに回復してきたので、熱中症という事で救急車を降りた。
しかしその時すでに左手に麻痺があったらしい。その後、やはり麻痺が普通じゃないと再度救急車を呼んで、今度は病院に搬送された。16時ごろか。
私がカミさんと病院に駆けつけたのが18:30過ぎか。病室に行くと「麻痺が悪化しているので今からCTを撮って脳外科医に診断してもらいます」と言われて運ばれて行ってしまった。
しばらくして脳外科医の先生から説明を受ける。「脳梗塞」という事で血栓を取る手術が必要との事。ただ手術しても麻痺は残るが、なるべく残っている機能を残したいとの事。
脳の血栓を取る手術ってどんだけ大変かと思ったら、カテーテル手術でちょうど1時間くらいで終わった。術後すぐ家族の声掛けに応えられていて驚いた。
左に麻痺が残ると、着替えやお風呂とか日常生活はどのくらい大変になるのかと心配していたら、先生からの説明で「もう自宅に戻る事はできない」との説明に唖然。
麻痺していると車椅子に乗るのも大変で、よくてリハビリ病院、そうでなかったら寝たきりの療養病院との事。
さらに万が一にそなえて延命治療などの説明を受ける。延命治療は言葉通り延命するだけで、症状が改善する事はないので、年齢が年齢なのでどこまでやるか考えといてくださいと言われた。
病院はいつも最悪の可能性を言うもんだと思った。一通り落ち着いたので8/4の22時ごろ帰宅、1時ごろ就寝。
午前3時頃、携帯がずっとなっているけど起きられずにいると、家の電話も鳴り出した。悪い予感しかしない。カミさんが飛び起きて電話に出ると、もう危ないから病院に来てくれとの連絡。
病院は幸い車で20分程度のところなのですぐに駆け付けた。病院としては少しでも反応がある最後の機会という事で呼んでくれたよう。小一時間SCU室で見守った後、「このままの状態が続くので、、、」と言われて午前4時ごろ帰宅。
膠着状態がいつまで続くか、続かないか分からないので月曜日はカミさんも私も普通に仕事に。
17時半ごろ、テレワークしていた私に涙ながらに電話が来て、もうダメそうだからと病院に来てくれとの事。カミさんに電話したが、すぐには仕事を終えられないとの事。パート先の近くに私が行って待つ。病院に着いたのは19時半頃か。その時にはもう家族が最後に会えるようにと、SCU室から個室へ移されていた。
この時点ではもう脳は死んでいる?あとは呼吸が止まるのを待つだけとの事。今日か明日かとの事。
神奈川から息子が来てくれたのが22時ごろ。泊りで付き添えるのは二人との事で、カミさんとお姉さんが残り、息子と私は帰宅。
風呂に入っていた24時少し前、カミさんから「8月5日11時46分 おばあちゃん永眠しました」とのLINE。
再度、息子と病院へ。きれいに化粧されたばあちゃんは寝ているようだった。少しお腹のところの布団が動いていた。
倒れてから1日ちょっと、あっけない最期でした。
13日がお通夜、14日が告別式。
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